石狩かめの会

石狩・不登校と教育を考える会

トークショーを終えて

「ふつう」っていったい何なんでしょう。
学校へ行っていない自分、ひきこもりの自分はもはや「ふつう」ではなくなったの?
学校へ行けない我が子、ひきこもりの我が子はもはや「ふつう」ではないの?

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ひきこもりを生む社会背景〜


『ポストモラトリアム時代の若者たち〜』の中で、社会はリスクを軽減するため予測可能な他者のみ受け入れる。モラトリアムの消失を生む。そのことは人間の成長、変化への信頼を喪失することになっている。
一方個人は「社会の要求」を過剰に満たそうとする『ふつう』固執する。ひきこもりは「自己責任」を追及した結果、孤立した状況の中で長い間無力感を体験させられ続ける。と乱暴にいえばそういうことが書かれています。


トークの中で相馬さんはこう言いました。
「30になった時、自分は30まで生きて来たから普通だ。平均的な人間だと決めた。自分と他人を分けるという考えでやって来た。」
わたしはそれを聞いていて「え?ええ〜っ?相馬さんが普通?」と思ったのですが・・・。
杉本さん:いくつかの国家資格を取る(勉強に逃げていたのかも)←他者が認める普通
相馬さん:資格ない。何もない。←自分が認める普通
そして相馬さんは杉本さんに「今でも普通を目指しますか」と問います。
明確な答えはなかったと思うのですが、たぶん杉本さんには、もはや「ふつう」は重要な事ではないのでは。


わが子が不登校になった時、今までは学校へ行くことがふつうだと思っていたのですが、学校へ行かない生き方を選択した時、我が家ではそれがふつうになったというか、ふつうへの固執が無くなりました。そこから気持ちが楽になったし、自由になりました。


あなたの「ふつう」と私の「ふつう」はちがう。ならば自分で決めればいいんだ「じぶんはふつう」と。


『ポストモラトリアム時代の若者たち〜』
今後の展望
新たな成長過程。新たなモラトリアムの創出。
経済成長を前提としない社会システムへの変更。


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●会場からのいくつかの質問〜●


<質問>レジュメにある責任感からひきこもるとは?
・責任感を強く持っている人ほど失敗したくない。
失敗しないようにしようとしたら新しい事に飛び込んでいけないのでは。(冒険できない)


<質問>小さい時から気を付ける事は
・家族仲良くしてほしい
・きちんと食べて(ご飯が大事)
・寝て〜
・遊ぶ〜遊び場をただ走っていた(子供の五体が自由になる)


<質問>ひきこもりから外へ出ていく時とは、外から働きかけるのか内側からの変化か?
・外に出てくる時は例えるなら、鳥の卵の殻をトントンするのと同時に、ヒナが殻を壊して出てくる時。

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『ひきこもる心のケア』を会場で求めて下さった方や、この本を読んで、この内容について語りたいと思われる方がいらっしゃいましたら、読書会をするのもいいなと考えています。希望する方はメールをください。

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